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執筆者の写真ミュージックサロン ミナト

旅するヘンデル

こんにちは!バロック大好き声楽講師です。


今回はタイトルにもある通り、ヘンデルについて盛り上がっていきたいと思います!



J.S.バッハと同年1685年に生まれたヘンデル。


同じドイツで生まれたこの二人の作曲家は当時からしばし比較される事が多く、その作風はまるで違う国・違う時代に生まれたのではないかと思うほどに異なる点が多いと言われています。


ドイツのハレにて、外科医兼理髪師(昔は刃物を扱う仕事ということで外科医と理髪師の兼業が常識でした。

余談ですが、当時隆盛していた”カストラート”も理髪師によって去勢手術を行い、当時の未熟な医療技術により沢山の死亡例があります。)の父親を持つヘンデルは、幼少期に父親の反対を押し切って音楽家の道へと進むことになります。


当時のドイツでは和声法と対位法が発達し厳格な様式が築かれていました。


その時代のヘンデルの作品を見てみると、そういった点で非常にドイツ人らしい作風が見られます。


しかしながら、段々と音楽の中心はイタリアのオペラへと世間の流行が傾き始めると、すかさずヘンデルはそのオペラを学び、自分の物にする為にイタリアへと飛び立ちます。


そこで書かれたオペラ作品は、ドイツ的な和声感とイタリア的な優美な旋律を引き立てるシンプルな伴奏とが両立した、一風変わった作曲家として瞬く間にヨーロッパ中で時の人となります。


イタリアで十分に名声を得たヘンデルが次に向かった先はイギリス。


当時のイギリスではイギリス国教会による統治と王を称える材料として、音楽は最も重要な役割が求められていました。それが一番お金になる事を、ヘンデルは分かっていたのですね。


そんなヘンデルが、民の声をひとつにする為に選んだ手法は英語による合唱の多用です。


オラトリオで王を称え、そこに心をひとつにした民たちの声として豪華な合唱を入れる事に注力しました。そこで生まれた最も有名なオラトリオは『メサイア』です。


こうして、3つの国を旅して見事に各国での地位と名声を築き上げたヘンデルは、同じ時代に生きたどの国の作曲家にも当てはまらない、多彩な作品を数多く残し、今も語り継がれる名作曲家として音楽の中で生き続けています。


なんだかヘンデルへのリスペクトが増してきませんか???

是非、多才なヘンデルの作品を聴いてみて、演奏してみてください!

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